2007年11月5日

今読んでいるのは青木淳吾の「四十日と四十夜のメルヘン」。ずいぶん前から手元にあったのに読んでいなかった。


テレビをつけるとつまらない番組しかやっていない。ニュース番組ですら、演出などに凝りすぎてよく分からないものになっている。昔からこうだったのだろうか。キャスターの横にCGで画面が大きく出てきたり、ニュースの渦中の人物があたかもそこに居るかのように等身大のCGが施されたり、どうでもいい技術ばかり。あとは内容。どうでもいいことばかり。新聞を取っていないので、どんな番組が毎日やっているのかよく分からない。先日はバレーボールを見ていた。中学の頃バレーボールをやっていたから、スポーツの中でルールが分かるのは唯一これだけだ。6、7年前と比べたら、チーム全体の力は上がっているように見えた(以前は本当に限られた選手の力だけが目立って、チームプレーになっていなかったような気が)。にしても今一歩及ばないのはなんなんだろう、始まる前から今日の相手なら負けるなというのが分かる。日本はそういうチームだ。それはもうずっと前からそう。


上に書いた、青木淳吾の小説の中で、主人公の「わたし」が自らが住むアパートの住人についていろいろ考えたり想像したりするのだけれど、それは自分にも当てはまる。自分の隣りの部屋に住んでいる女の人は、ステレオによって目覚める方法を用いているらしく、朝方5時くらいに大音量でチャゲ&飛鳥の音楽が流れてくる。歌詞が鮮明に聞こえてくるほどだ。アパートは古いので、大きな物音とかは簡単に壁を通ってしまうのに、平日は遠慮なく行使してくる。もちろんこっちとしては、チャゲ&飛鳥などには興味がないのだけれど。でも自分はそれを何年も放っている。自分が眠っている時ならべつに構わないし、寝付けなくて起きているにしても、なんとなく放っている。朝方5時から15分間くらいだからと思って。しかしもし、自分がある日、苦情を告げたらどうなるのだろう。彼女はおとなしく目覚まし時計を用いるようになるのか、音量を少し下げるなどの抵抗策を出してくるのか。はたまた違う歌手の歌を使うのか。