2007年11月17日

清澄白河、小山登美夫ギャラリー「シュテファン・バルケンホール展」、シュウゴアーツ「池田光弘 宙を繋ぐ」展、Taka Ishii ギャラリー「トーマス・デマンド」展、hiromi yoshii「ヴィディア・ガスタルドン|Healing Boom」展「Yosuke Bandai|reunion」展、zenshi「村住知也 視力を失った夢」展、など。


バルケンホールはやっぱり好きだ。2年前に観たオペラシティアートギャラリーでの展示ほど衝撃はなかったのだけれど(それは当然かも知れない。あのとき初めてバルケンホールの作品を観たわけで、今回は2回目なのだから。新鮮さという意味では、初めてにかなうものはないだろう)、あの普通の人たちを、愛すべきものとして変換できてしまうのは、なかなかできることではないと思う。そして自分にはそういうことをする力がないということを痛感する。
トーマス・デマンドのわざわざすべての被写体を紙で作って、展示するのは写真だけというやり方は、ちょっと地味で好きだ。以前の近美での展示でもそういう印象を持ったので、憶えていた。ただ、ギャラリーに置いてあった紹介文に「政治的訴えの…」というような内容の文章があって、そういうのはいまいち分からない。自分はただ作品を見ていいなあと思ったけれど、そういう政治的なんたらかんたらみたいな話が出てくると分からなくなる。


歩いていても寒くなってきた。夜は吐く息が白くなった。


最近観た映画(DVD)、「真実の行方」「スコア」。
「真実の行方」は、教会のミサの手伝いをしている少年が、その大司教の殺人容疑で裁判にかけられるという話。中学生くらいのときに観た映画で、ずっと忘れられない映画だった。この結末が、とても強い印象を残した。若い頃のエドワード・ノートンが出ていて、半端無くいい俳優だと改めて痛感する。それを観て自分の身動きが取れなくなるようなシーンがある。
「スコア」は賊の話。金庫を破って宝物を盗むという内容で、この映画を観て気づいたのだけれど、最近の映画は必ずと言っていい程、劇中で登場人物の誰かが死ぬ、あるいは不特定多数の役柄もない人物たちが死ぬ。でも、この話の中では誰も死なない。その上ハラハラする。誰の命も奪わないで盗むわけだから、その行為が成功するかどうかに集中するからだろうか。そして主演ではないけれど、この映画にもエドワード・ノートンが出ている。「真実の行方」同様、頭のきれる役が向いている俳優だなあと思う。