2008年6月28日

答え


踏子  → 多部未華子




2008年6月25日

問題


数夫  → 山崎まさよし
組子  → 小泉今日子
素子  → 松下奈緒
八木沢 → 筧利夫
章造  → 田中邦衛
多江  → 鈴木砂羽
潤一  → 松山ケンイチ
太一郎 → 萩原聖人
英子  → 戸田菜穂
菊本  → 森下能幸
踏子  → ?




2008年6月19日

きのうのことを、今日書く。人からチケットをもらったので、国立代々木競技場に「CHANEL MOBILE ART」を観に行った。観覧は無料だけれど、チケットを取らないと観られないシステムで、なおかつ、好きな時間に行くのではなく、入場の時間が決められている。自分は17時だった。ネットで調べて、会場の外観などは知っていたけれど、なんとなくものものしい雰囲気だった。白が基調とされていて、自分は好きな感じだ。あちらこちらに、全身を黒の制服で統一したスタッフが居た。何か護衛している人みたいに見える。ひとりぽつんと、入場前の待ち合い場に居る間、即席に作られ何れは分解されるその建物のなかに身を置いていると、なんとなく、去年ドイツに観に行ったドクメンタを思い出した。規模も内容も違うけれど、すこし懐かしい感じと、あとは、現実離れしたその雰囲気が夢のようで心地いいものがあった。その間も、あちらこちらで真っ黒な格好をしたスタッフがうろうろして、無線で何かぶつぶつ言っている。さて、内容はと言うと、束芋の映像(インスタレーション)と水たまりの反射のインスタレーションが、印象に残っているかな。どちらも、穴や、直接的には見えない映像を観ているあいだは、その中に自分が居たし、時間を忘れそうにもなった。ただもっと強い印象を持ったのは、この展覧会のシステムかな。チケットを事前に予約して取らなければ観られないというのも、最近ではまだまだ珍しいやり方だと思うし、その上、会場に入ったら自由に観られるというわけでもないー会場に入って渡されるMP3プレイヤーを、スタッフが起動すること、なおかつ、音声に従って観なければならないーということが、今まで自分が体験したことのないものだった。こういうの、嫌いじゃない。それと、そのMP3プレイヤーを操作するのはスタッフひとりなので、観客が同時に作品を観始めるということがない。そうやってできたタイムラグが、ひとりの時間をより強調していた気がする。観ている間、そこまで他の人が気にならなかった。最後に、クロークでカタログをもらった。無料なのに、これが大きくて、なぜか2種類ある。これが世界のブランドのオオきさなのかなーなどと思った。会場から出ると、薄ら青みがかった空と、吹く風が気持ちよく、競技場のまわりは高い建物がないので、またドクメンタを思い出した。何枚か写真を撮って、あとにした。駅に向かう途中、外国の歌手のコンサートがあるらしく、たくさんの人。自分は何も見ず、ただ歩いた。


それから、先週開通した副都心線に乗って、新宿三丁目へ。岸田さんも言っていたけれど、まだ新しい路線なので、ホームの空気が新鮮だった(といっても、体には良くないだろうけれど)。写真を撮ろうとしたけれど、やめた。


新宿へ行ったのは、映画「幻影師アイゼンハイム」を観るため。最近いろいろ我慢していたので、映画を観たくなったのだ。内容は期待はずれで、よたよたした展開の上に結末の説得力がない。そういうことに重点を置いていないような映画ならともかく、この映画はちゃんと物語を描こうとしているので、腑に落ちない感じだった。


帰りは、小田急線でたてつづきに人身事故などが起こって、1時間以上も足止めされた。人混みが嫌いなので、自分にとってこれほどの苦痛はなかなかない。




2008年6月16日

高円寺の古本酒場コクテイルに、ワタベテッサンさんの展示を観に行った。自分はあまりお酒が飲めないし、ひとりで酒場に行く勇気はないので、友人を誘っていった。それでも黒糖梅酒をロックで飲んでみた。梅酒なら飲めるかな、と安易な考えで。友人は、ソーダで割ったような透明のお酒を飲んでいた。テッサンさんの絵はだんだん変わっていく。人物を描いた絵がわりと好きなのだけれど、最近は、擬人化されたような動物の絵が多いみたい。そして、なんだか陽気な気がする。以前はすこし、クールな印象を持っていた。テッサンさんの絵は好きだ。絵のことを思い出す。




2008年6月14日

ときの忘れものでのグループ展が終了しました。来てくださった方々、どうもありがとうございました。展示期間中、毎日ギャラリーに行って自分の絵を眺めるようにしました。それは、絵を描くことからすこし離れて、自分の絵を客観的に観る時間でした。それが必要なことなのか分かりませんが、そうしました。そうして思ったことは、自分の絵は物語性がないのがおもしろいなあということだったり、もっと集中できるはずだということなどです。




2008年6月13日

最近、自分独自のやり方を押しつけるような人が多いなあと感じます。それしか知らないことは悪いことではありません。
ただ、それ以外のいくつもの選択肢があって、それぞれを選んでいる人が居るということを、なぜ想像できないのでしょうか。


最近、愚痴っぽいなあ。こういうの、いけませんねえ。読んでいても楽しくない(…もともとあまり楽しくないかな)! 
…いや、べつに人のために書いているわけではないのだけれど。でも気をつけないと…。



今日は、明日から仕事始めの友人や、この日記を読んで大学の知人が来てくれました。
グループ展は明日が最終日です。自分は1日ギャラリーに居ます。お時間ありましたら、お越しくださるとうれしいです。




2008年6月12日

修行僧のような絵。




2008年6月11日

毎日ギャラリーに行って、自分の絵を眺めていること。




2008年6月10日

今日は1日ギャラリーに居ました。大学の先生や先輩や友人、千葉の友人たちが来てくれたり、あと、これは本当に驚いたことですが、去年の個展で偶然自分の絵を観てくれた人が、今回もまた来てくれたりしました。どう言えばいいのか…、うれしかったです、体温が上がるほど。絵はひとりで描いていますが、人の気配を感じました。たとえグループ展でも、自分の絵を観るためにわざわざ足を運んでくれるということ、なんと贅沢なことでしょう。




2008年6月7日

グループ展2日目。用事を済ませ夕方ギャラリーに行って芳名帳を見たら、自分が居ない間に、会いたかった人たちが立て続けに来ていた。もどかしい思い。ちなみに10日(火)は、そのギャラリーでバイトをすることになっているので、1日中居ます(お昼休みとしての1時間は居ないかもしれません)。絵を観て、感想を言ってもらうのは、やはりうれしいものがあります。それがたとえ、良いというものでなくてもです。感想を言葉にするのは時として難しいものですが。展示をすることで自分が得るものは、そういう人からの言葉と、絵を客観的に観たうえで導きだされる自分の思考のような気がします。




2008年6月6日

ということで、今日からグループ展が始まりました。自分は絵を7枚展示しています。1枚だけ、ほかの絵から離れているので見逃しやすいかもしれませんが、よろしくお願いします。今日はオープニングパーティーがありました。自分はちびちびとワインを飲んで、人の話を聞いたり、すこし何かを話したりしました。久しぶりに会う人が来てくれたのも、うれしかったです。




2008年6月4日

どうも話して表現することが苦手なようです。言ったそばから、言いたいことから遠ざかってしまいます。唯一、言葉を使ってなんとかうまくいくのは、紙に書くことのようです。自分はいつもクロッキーブック(大学生のときから同じ種類)を持ち歩いていますが、絵よりも言葉を書く方が多いときがあります。その白い紙のなかに、言葉を選んで、改行するところも選んで、字の大きさや字の線の長さを慎重に選びます。そうして出来上がったものを見ると、やはりこれは絵かも知れないと思ったりもします。紙の白と、黒い字の線の形。書いている内容は、ふと思ったことや、誰かが言ったことや、何かが起こってそれについてだったりします。ちなみに、今クロッキーブックを開いて見てみたら、いちばん最近のものが「集中的に一定期間働いて、そのあと何もしない。自分はそういう感じやな。」でした。これは人が言った言葉ですが(紙に書いているのだから、ここに書いてもどうしようもないのですけれど…)。


さてさて、あさって6日からグループ展が始まります。ギャラリーの人の話では、人はいつもあまり来ないとのことでした(!)。だから、みなさん、是非来てみてください。人があまり来ないのならば、きっと、ゆっくりできます。




2008年6月1日

6月になりました。6日(金)からグループ展が始まります。やはりこういう機会があると、多くの人に観てもらいたいという気持ちが出てきます。




ここからは独り言ですが。自分の話を聞いてくれる、大切な人が居ます。自分の何倍も生きていて、長い間絵を描き続けています。自分はその人の足下にも及びませんが、ふたりは似ているところがあると思います。心細いのは間違いなんかじゃない。絵を描いていると、あらゆるものから自由になる瞬間があって、絵を展示すると、そうではなくなることがよく分かります。2年くらい前、その意味が分かりませんでした。


それともうひとつ言っておきたいことは、自分はどんな技法や技術よりも、表現の方が大事だと信じています。