この展覧会は、自分だったら、外が明るいうちに観たいなあと思う。これは、展示場所には外光が入る場所があり、それがとても綺麗だからだ。美術館やギャラリーには、窓がないところが多い。でも自分は、作品は外の光を感じる場所にあるほうが健全だと思っている。閉じ込めないでもいいのではないか、と。(でもこれは自然の景色に適うかどうかという点では難しい。)あと、理由がもうひとつ。今回の展示場所が住宅街の中にあって、天気が晴れの日は、まわりを散歩するには日中が気持ち良いと思うからだ。だから4月の週末は是非とも晴れてほしいなあ。また、上旬は桜が見事だと思うのでね。展示室の前は小学校だから、道沿いの桜は見ごたえあるんじゃないかなあ。
2009年3月29日
搬入が終わりました。今回は、学生の頃の絵も飾るということになりまして(これはすこし複雑な心境ですが)、1階は旧作を中心に、2階には新作を展示しました。全部で18点です。旧作はカンヴァスに油彩の作品だけでなく、木製パネルに描いたものもあります。これは自分の中でカンヴァス作品とは意識がちょっと違うというか、何も考えていないというか。展示自体は内容としててんこ盛りのような気がします。ごちゃごちゃと言ってもいいかなあ。それは、普通のギャラリーではできないような展示の仕方なので、なかなか見ごたえがある、のではないかと。
搬入の帰りに「ワンダーシード2009」を観に行った。観た端から、記憶からなくなっていくという印象だった。期待という名の投資なのか、ステータスのひとつとして消費されていくのか。その、得体の知れない気持ち悪さのようなものからか、絵が並んでいる壁がなんだかとても寒々しいものに感じた。そして哀しくなった。でも自分はこれに応募して落ちたのだけれど。
搬入の帰りに「ワンダーシード2009」を観に行った。観た端から、記憶からなくなっていくという印象だった。期待という名の投資なのか、ステータスのひとつとして消費されていくのか。その、得体の知れない気持ち悪さのようなものからか、絵が並んでいる壁がなんだかとても寒々しいものに感じた。そして哀しくなった。でも自分はこれに応募して落ちたのだけれど。
2009年3月28日
2009年3月27日
2009年3月26日
3年くらい前、映画のエキストラをやったことがあって、その映画が今日テレビで流れていた。ちょうど自分が参加したシーンだったので観てみた。普段自分が好んで観るようなお話ではなかったので、今まで観たことがなかったのだけれど、それでもすこし観てみて、俳優さんたちはすごいなあと思いました。本来の自分とは違う人間を演じるということは、どんな気持ちなのだろう。いろいろな所に行って、いろいろな時間帯に、いろいろな服装や髪型、あるいは顔つきまで違う人を演じるということ、自分には想像もできないことだ。強くないとできないんじゃないかな。そうやって作られた物語に、自分は感動したり、時には人生においてとても重要な、大袈裟に言ってしまえば生き方の手がかりとなるものを見つけたりもするのだなあ。自分は映画が好きで(とはいえ、とても詳しいとかどんなお話でも観るというわけではない…)、今言ったような映画が自分にとっては何本かある。歌や本も同じだと思うけれど、この世にそういった物が生まれたことは奇跡のようにも感じ、それでも必然的であったようにも感じる。
2009年3月20日
一日誰とも話さないと、夢の中に居るようだ。実感がないと言うか。
今日から伊坂幸太郎の「重力ピエロ」を読み始めた。この本は有名らしいが、今まで手をつけたことがなかった。この話は5月に映画になるそうで、その予告編を観たから、なんとなく原作を読んでみようかなあと思っただけ。映画も観に行くだろうけれど、原作を先に手をつけたのは失敗だったかな。この話を自分がとても気に入ってしまったら、他人によって作り出された映像を受け付けられないかもしれない。現にすでに、この話にのめりこみつつある。まだ数十ページしかたっていないのに。この話がどんな展開なのかは知らないが、なにより、語り手(泉水という青年)の話し方やその場でのものの捉え方、相手に対する接し方に好感を持ってしまった。
「僕には兄になりきれなかった人がいて、今もどこかで生きているはずだ。住んでいる場所や、働いている場所も知っている。会いに行こうと思えば、いつでもできる。でも、僕はそれをしない。本当は僕のことを一番わかってくれる人かもしれないけれど、それは幻想で、僕たちはもう会う事はないだろう。もし、どこかで偶然会う事ができたら、隣りに誰か、優しそうな女の人が居ることを、願っている。」
今日から伊坂幸太郎の「重力ピエロ」を読み始めた。この本は有名らしいが、今まで手をつけたことがなかった。この話は5月に映画になるそうで、その予告編を観たから、なんとなく原作を読んでみようかなあと思っただけ。映画も観に行くだろうけれど、原作を先に手をつけたのは失敗だったかな。この話を自分がとても気に入ってしまったら、他人によって作り出された映像を受け付けられないかもしれない。現にすでに、この話にのめりこみつつある。まだ数十ページしかたっていないのに。この話がどんな展開なのかは知らないが、なにより、語り手(泉水という青年)の話し方やその場でのものの捉え方、相手に対する接し方に好感を持ってしまった。
「僕には兄になりきれなかった人がいて、今もどこかで生きているはずだ。住んでいる場所や、働いている場所も知っている。会いに行こうと思えば、いつでもできる。でも、僕はそれをしない。本当は僕のことを一番わかってくれる人かもしれないけれど、それは幻想で、僕たちはもう会う事はないだろう。もし、どこかで偶然会う事ができたら、隣りに誰か、優しそうな女の人が居ることを、願っている。」
2009年3月17日
2009年3月14日
4月の個展のDMが届いたので、宛名書きを開始する。おととしの個展は自分でDMのデザインをしたが、今回は自分じゃない。出来上がるまでどんなものが仕上がるか分からなかったのだが、なかなか気に入りました。特に紙質が自分好みだった。よかたよかた。おとといの日記でガン×ソードの話をしたら、DVDが全巻欲しくなってしまった…。放送されていた当時、ビデオ録画し損ねた第1話と第12話が収録されているDVD1巻と7巻は持っているのだが、録画していたビデオは、自分の部屋にデッキがもう無いので観られないし。自分の持っているDVD観ると、あれもこれもと観たい回を思い出すのだ。ちなみに今いちばん観たいのはヴァンとレイが初めて出会う「ツインズ・ガード」の回。