2009年12月31日

大晦日。それどころではないのだけれど、やはり街全体がそうだからか、空気がすこし違うように感じる。そわそわしているというか、この日の24時間をまさにカウントダウンしている。12月31日ほど、一年のなかでの一日(24時間)を意識することは無いのではなかろうか。絵を描いていて、息抜きに喫茶店に本を読みに行った。店に居る人、店の外を歩いていく人、誰かを待っているような人など、みんながそれぞれ、思い思いに年を越すのだろう。




2009年12月30日

夜明け前に寝て、すぐ目が覚めてしまい、このまま布団に居ても眠れないだろうと思い、起き上がった。駅前の喫茶店で本を読み、部屋に戻ってきた。まだ午前中で、帰り道の空は、今自分が描いている絵と似ていて、あの空も何色でできているか知っている、と思った。北海道に居る彼女に会いたくなって、よっぽど電話を掛けようかと思ったけれど、やめた。1月が過ぎたら、会いに行こうか。




2009年12月29日

ここに住み始めて7年くらいになるけれど、一向に自分の街になったという感じがしない。
くるりの歌にありましたね。
「この街は僕のもの」
あの歌聴くと、高3の冬、毎日遅くまで残っていた美術室からの帰り道の気温の低さ、肌が引き裂けるのではないかというくらいの風の冷たさを思い出します。




2009年12月28日

日記1
首が痛い。湿布を貼って、痛みを誤摩化しながら行動する。入った喫茶店内がうるさくて、読もうとしていた本も部屋に置き忘れ、踏んだり蹴ったり。こんな日もある。今年は年末年始が関係ないので師走の感じがまったくない。世間が2010年を迎えても、自分は一ヶ月くらい2009年を延長するので(年賀状は書くけれど)。千葉にも帰らない。


日記2
絵を描いていても楽しくない。時間は目の前を過ぎてゆく。気持ちばかり焦る。それを抑える。また焦る。自分を追いつめる。追いつめて、追いつめて、いつからかこうやって生きている。そのくせ、ひとりであたふたしている。人の気配を求めて、意味もなく外に出て行く。楽しそうな人も居れば、目が虚ろな人も居る。頭が痛い。かなしい。つらい。でも、いいこともそのうちあるかもしれない。世界は美しいと、言っていたし、自分もそれを知っている。




2009年12月27日

真面目であることは悪いことではないけれど、その真面目さが問題で、真面目さの方向とかあり方とかがわかっていない人は本当に困る。小実昌さん自身、『海燕』という文芸誌の新人賞の選考委員をしていたときに、これとだいたい同じ意味のことを書いていた。でも、真面目さの方向やあり方がわかっていないのは、本当はもっとちゃんと考えるべきことを考えていないからで、「不真面目」だとも言える……。

人間というのは、ああも生きられる、こうも生きられる、といういろいろの選択肢から主体的に自分の生き方を決められるものではなくて、そのレベルは全然小さなことか表面的なことで、もとのところは、「こうとしか生きられない」「こうとしか感じられない」「こうとしか書けない」ものだ。

(保坂和志「小実昌さんのこと」〈新潮社〉より)




2009年12月20日




最近本を全然読んでいなくて、絵もうまくいかず塞ぎがちの生活を送っている。これでは、やっぱりよくない、と思って、紙やペンは部屋に置いたまま、絵のこととか他にもいろいろ考えるのを止めようと思って喫茶店で本を読んだ(部屋では読めない)。今日から読みはじめたのは保坂和志の「生きる歓び」。古本屋で買ったのだけれど、表紙を開くと「保坂和志」とサインがしてある。本人が書いたのかは定かではないけれど(直筆を見たことがないから分からない。しかもサインをもらった本を古本屋に売るだろうか…)。でも、たとえば別人が書いたものだとしても、その誰かの字であることに間違いはなく、気配は確かに残っている。痕跡。自分にはどうしてなのか、こういうことにむかしから強く惹かれるものがある。


たとえば水を掴んだり空気を抱きしめることはできないが、それと同等の言葉なりかたち(絵とか映画とかでもいい)を見つけていければ、いいかもしれない。




2009年12月19日

暗い気持ち。外は寒く、それだけがいいこと。夜は落ち着く。誰も起きていない時間に、ひとりで何かする。




2009年12月16日

年末年始をそれらしく過ごす余裕がなくなりそうです。このままだと年が明けるのは2月。




2009年12月14日

どこかに行きましょう!
そうです!
あなたが行きたい場所ならばどこだっていいのです!
車で行きましょう!
夜中に出発しましょう!
交代で運転しましょう!
大丈夫です!
問題なんかありません!
ここに居る方が問題ですよ!
さあ準備をしましょう!
2時間後に公園のクレーターで待ち合わせましょう!
あなたよりも先にわたしは待っていますとも!
問題なんかありません!
ここに居たらあなたは壊れてしまいます!
綺麗な空気を吸いにいきましょう!
わたしが連れていきます!
朝が来る前に出発です!
誰にも見つからないように窓から出掛けてくださいね!
くれぐれも怪我をしないように!
わたしの小さな恋人よ!
あなたは何も知らない女の子!
素敵な街で暮らしましょう!
心配しないで!
わたしなら大丈夫です!
わたしたちなら大丈夫!
前だけ見れば何でも見えます!




(今日の日記は5回くらい書き直しています。全部内容が違います。自分でも憶えていません。)




2009年12月11日

時間が経つのがはやい。一日というより一週間が、あっという間にすぎていく。火曜日には金曜日のことを考えている。




2009年12月10日

日記1
最寄りの駅に向かうとき小さな橋を渡る。朝、そこの手前まで来ると、橋にある片方のフェンスにカラスが二羽停まっているのが見えて、ぎょっとした。しかし渡らないわけにいかないのでずんずん進んでいくと、奥に居た一羽のカラスは飛んでいったのだけれど、手前のもう一羽の方は動かずそのままフェンスに停まっていた。「なんか嫌だなあ恐いなあ。こっちに来なければいいなあ。」と思いながらカラスの前を通ったとき、気のせいかもしれないけれど、そいつが自分をじっと見ているような気がした。嫌な予感というのは大体当たるものである。通り過ぎて数秒後にバサッと羽ばたき、「カア」と言いながら足で頭を掴まれた。自分が想像していたことが現実となり、その驚きと、またそれがカラスに襲われるという日常ではあまり考えられないことで、心臓が止まりそうになった。おいおい勘弁してくれよ、と最初変な汗が出てきたが、だんだんそれは憎しみのような、どこにも発散することのできない感情として、自分の中にしばらく残っていた。憎たらしい。あの「カア」という鳴き声が耳に残っている。しかもあいつが自分の頭を掴んだあと、反対側のフェンスに停まって(自分のすぐ近く)、目が合ったのだ。「うけけけけ」とでも笑っているかのように思えた。今思い出しても腹が立つ。自分はナメられたのだ。あのカラスは、橋を渡っているとき、怯えていた自分の感情を察知したのだろうと思う。しかし、くちばしで頭や目を突かれたりはしなかったことに自分はホッとした。もしそんなことにでもなっていたら、頭に激痛(足で掴まれるのは全然痛くなかった)、もしくは流血なんてことになっていたかもしれないと思うと血の気が引くぜ。その小さな橋にカラスが停まっていたのは、今までで初めてのことで、二度と居ないことを願う。


日記2
明和電機のアルバム「地球のプレゼント」は名曲揃いだ。「麦の歌」や「地球のプレゼント」は歌詞の世界が壮大で、すこんと突き抜けた空のように思える。メカフォーク(自動制御されたフォークギター)の音色も素晴らしい。




2009年12月9日

日記1
Amazonで買った、明和電機の「地球のプレゼント」が届いた。「麦の歌」「地球のプレゼント」は名曲である。



日記2
弱音を吐いてはいけない。



日記3
仕事を与えられて、自分は幸福であると感じる。




2009年12月5日

アルバイトの帰り、歩いて渋谷まで行き、ユーロスペースで「ポルノスター」を見た。今日から一週間、豊田利晃監督の特集で今まで作った映画を上映している。自分は豊田さんの「青い春」がすきで、この「ポルノスター」もずっと前から見たかったのだけれど、近所のレンタル屋には無くて、ずっと見られないままだった(見てもいないのに購入するには高額すぎる)。たまにそれを思い出しては、悔しい思いをしていた。今回の特集のことはたまたま知って、これは見なければいけない、しかも、映画館のスクリーンで見られるなんてことはもう無いかもしれない、と思った。失礼だけれど、たとえ映画の内容がどんなにつまらないとしても、見に行くと決めた。それでその内容はというと、うまくはぐらかすというか、結局のところ全部よく分からないのだけれど、なんかいいんだな。雰囲気が。とにかくこの監督は、スローモーションをよく使うと自分は思っていて、しかもその使い方が上手いと思う。今回のオープニングにも痺れた。映画が始まることの歓びを感じていた。主演している千原浩史がよかった。役者としても映画の中の役柄でも浮いていた(この映画は11年前のもので、このときの千原浩史は今の自分と同じ年くらいだと思う)。


もうすぐ豊田さんの新作が公開されるのだけれど、これも見に行く。たとえどんなに内容がつまらなくても見に行く監督はこのひとだけかもしれない。でも結局「青い春」も「ポルノスター」もおもしろかったのだけれど。「ナインソウルズ」はいまいちだった。「空中庭園」は見ていない。


余談だけれど、映画を見終わったあと、ロビーに出たら、俳優の渋川清彦(KEE)さんが居た。もしかしたら他にも役者さんが見に来てたかもしれない。渋川さんのプロフィールを見たら、「清彦」というのは本名で、「渋川」というのは故郷の地名らしい。自分の「シスイ」も故郷の名前だから、勝手に親近感を憶えた。


今日行ったユーロスペースの周りには、ラブホテルやライブハウスが多くあって、妙な人達がたくさん居た。自分はとにかく黙々と歩いた。ちなみに渋谷は嫌い(大嫌い)だ。用もなく行ったりは絶対にしない。その用事が他の街で済むのなら、たとえ遠くても渋谷ではない方の街に行く。新宿も嫌い(大嫌い)だ。週末、これらの街の帰りの電車は大体酒臭く、いらいらする。




2009年12月4日

日記1

人前で話すと、マイクを持つ手が震えてきて、声も震えてくる。聞いている人の顔が見えなくなる。自分の声しか聞こえなくなり、何を言っているのかさっぱり分からなくなる。吐き気がする。大学4年のとき、卒業制作の合評会で、これを初体験した。昔から、話すのが苦手なのは分かっていたけれど、ここまでとは思わなかったから、正直ショックだった。この前の、滋賀でのオープニングでも、同じだった。吐き気がして、何を言っているのか、途中から分からなくなった。それで、自分の声が、いつも体の中で聞こえている声ではなくて、ほかの人が聞くのと同じように、自分の声を耳で聞いているようで、なんだこの変な声はなどと思いだしたら、余計に変な汗が出てきて、また吐き気がした。ひとつ気をつけていたのは、思っていないことは言わないということ。これをすると、よくない。それを守るだけで、精一杯だった(守れたか怪しいけれど)。聞いている人がどう思うかとか、考える余裕がミジンコ程もなかった。


日記2

滋賀で会った日本画を描いているひと、この日記を知らない。連絡の取りようがない。




2009年12月2日

最近、何となく暗い印象を持たれそうな日記が多い。別に構わないのだけれど。ただ、そればっかり書いていたいわけではもちろんないので、今日は違う話。


帰り道、とても寒く、そろそろ朝晩の移動には手袋が必要になってきたみたいだ。いつも寄る喫茶店から出て、アパートに向かっていると、ふと、夜なのにやけに明るいと思い見上たら、満月が出ていた。雲がゆらゆらと浮かんでいて、薄いところは透けていた。雲がもこもこと分厚いところは影になっていて、つまり、あの雲の上に上ったら、月の光を浴びられるだろう。自分はあの空や雲が何色でできているか知っている。みるみるうちに雲がどこからか流れてきて(発生して?)月はぼやけていった。しかし本当に明るかった。たぶん影踏みができるくらいだった。


月はぼやけたけれど、明るい夜の道を歩いて、アパートの前まで来たら、ごろんと何かが転がっていて、なんせ月明かりで陰影が強いから何だか分からず、ちょっと不気味で、遠巻きに見てみたら、キャベツだった。葉っぱが詰まっていて見るからに新鮮なキャベツだった。何なんだろう。満月の夜、アパートの駐車場に、キャベツ。よく分からないし、誰かが作るアート作品のようにも思えて、写真に撮ろうかな(アート作品ぽいからではなくて、ただ、この事態が変だから)、と思ったけれど、やめた。明日にはもうキャベツは無いと思う。




2009年12月1日

滋賀に居た十月の三日間、自分はしあわせだった。
今はよく前が見えない。


どこからともなく泣く
自分は何をしているのか


夜は落ち着く
同時に淋しさ


だれも起きていない時間に絵を描く
自分だけが知っている


昼は明るく気持ちがよい
同時につらい


諏訪さんと話してみたかった