2009年6月29日

「tokyo.sora」を久しぶりに見た。夜眠れなくて、ふと、この映画の断片を思い出したのだ(このDVDは何年か前に買って持っている)。深夜、映画を見ている最中も見終わったあとも、初めて見たときと同じような、気持ちになった。普通の風景が特別のように感じられるとき、登場人物たちの素敵な性格、この映画の中で唯一すんなり受け入れられない展開(ユキちゃんの展開の仕方には、いつも違う方法を考えてしまう)。登場人物たちは一様に、淋しさや人恋しさを持ち合わせていて、ただそれとどう向き合っていくかが、当たり前だけれどばらばらで、強いとか弱いとかの次元の話でなく、生きているからそうなる(単純だから複雑になる)というような構造が、物語の外側の自分たちと、極限にまで近い形で映像としてなっている。そう、映画と言うよりは映像と言った方が合っているかも知れない。<br><br>この中で、登場人物それぞれは、全員が明確な形で関係を持たないのだけれど、ほんのすこしずつ、たとえば、同じ電車の中に居合わせたり、同じ道路を時間をずらして歩いていたり、という繋がりがある。これは言わば、自分自身には見えない世界を切り取って(あるいは違う方向から)見ているのだから、ドラマチックに思えるが、実際のところ、自分の世界でもじゅうぶんに起こりうることで、現に起こっていると思う。世界はひとつではなく、いくつか存在しているのだけれど、その、それぞれの摩擦というか、接触の反動に、何か(こうとしか言いようがないこと)を期待せずにはいられない。