2009年7月21日

海を掬う
雲をつまむ
山を切る
風を持ち帰る


いつだったか、思いついた、言葉の羅列。
自分でない人ならば、もうすこし違った言い回しを(そしてより的確に)思いつくだろう。


自分ひとりでは、ひとりの人間でしかなくて、ときどき、無性に、つまらなく感じることがある。もし、ここに、話したり話を聞く人間がいたならいいと思うのだけれど、きっと、それは誰でもいいのではなくて、すでに決まっているのかもしれないと思う。本やパソコンで読むような活字になっている誰かが書いた文章は、読むときに、声に出さなくても、頭の中で誰かの声を借りて読んでいる。いや、しかし、厳密に言うと、「借りる」という言い方は不自然であって、なぜならそれは、その借りた声の主は、別に自分の知らない人だから。つまり、文章の主体が男性なら、自分ではない「男性」の声で、それが女性なら、自分ではない「女性」の声、という極めて漠然としたものであるから。こうして自分以外の声を感じることがあるのは確かなのだけれど、ここに居ればいいと思う(望む)人間は、こういう明瞭としない存在でなく、すでに決まっている声の持ち主なのではないかと思う。ただ、自分でもそれが、一体誰で、いまどこに居るのかは分からない。