2010年1月25日

今日は展覧会場に行く前に、渋谷のユーロスペースで「蘇りの血」を観た。12月の初めの方にこの日記で書いた、豊田利晃監督の新作。


この人の映画はけっこうすきで、何がすきなのか自分でもよく分からないのだけれど、今回のは正直よくなかった。それで分かったのだけれど、原作が有る無いに拘らず、いつもギリギリ、ともすれば映画とならないような際どいところでやりきっている、映画にしているところが良かった、というか自分はすきだった。「ポルノスター」なんかはその典型なかんじで、「青い春」はこの人の傑作だと思う。でも今回の「蘇りの血」は、内容も設定も役も宙ぶらりんな印象が始終消えなかった。自然の映像を使ったミュージッククリップと思うときが何度かあったり、必要性がない間延びする映像が多かった。自分も絵を描いたりするから、この先どういう風になるかは分からないし、前回の展覧会を見た印象で自分のことを期待されるのは苦しい部分があるので、豊田さんに対しても「青い春」の感じの映画を作ってくれとは思わなくて、豊田さんの映画になっていればいいというくらいにしか思わないのだけれど、それにしても、その出来上がったものに中途半端な感じが見え隠れするのは、やはりよくないと思う。所々にいいところもあるから、余計にそう思う。たとえば、テルテがオグリの乗った舟を川へ流すために駆けていくスローモーションとか、オグリが最後に首に刀を当てるときの表情とか。自分は中村達也が結構すきだから、やっぱり残念だったな。映画全体のたるみを、見る側の解釈に委ねて成り立たせることもできるけれど、それは甘さをもってすれば、という感じだった。


平日の午前の回だったからかもしれないけれど、観客が少なくて、自分を入れて3人だけだった(しかもそのうちのひとりは途中で帰ってしまった)。エンドロールが流れ終わって会場が明るくなると、自分の斜め前で見ていた30代くらいの女の人が「2人しか居ないですねー。」と声を掛けてきてくれて、しばらくその場で話した。「なんでこの映画を観ようと思ったんですか?」と思いがけない質問をされて「豊田さんの映画が結構すきなのと、中村達也がすきだからです」と答えた。その女の人にも同じ質問をすると、この映画のプロデューサーが姉の昔の恋人だから嬉しくなって観に来た、とこれもまた思いがけない答えが返ってきた。昨日はおばさんからチケットをもらったし、今日もまた知らない人から声を掛けられて、妙な、しかしながら心持ち軽い気持ちになった。





展覧会7日目。
映画のあとギャラリーに着いたのが午後1時半前。見てもらいたかった人に来てもらえたけれど、その人は絵を見たあとにすぐ出て行ってしまった。あまり印象に残らないものだったのかもしれない。