2012年3月24日

「半分は独り言のようで残りの半分だけぼくに言うように言った。」



2012年3月21日

保坂和志の小説に出てくる主人公は、自分の中でいつも同じ人になる。現実の、自分の知っている(でも詳しいことはあまり分からない)人で、だから他の人が書いた本よりも、いつも、より鮮明に映像に変換されてしまう。たとえば主人公が猫に餌をあげる場面だとか、誰かと話していて、その相手のことを頭の中でああでもないこうでもないと考えている場面とかは、その自分の知り合いがそうしているような映像として頭に浮かんでくる。他人と時間を共有することに対して、変に無頓着というか、自分の生活に他人が入り込んでくることを強く拒むことがないところも、自分はそういうことが出来る人がうらやましい気持ちがあり、まさにそれはその知り合いのような人で、だから保坂和志の主人公にいつも自分は憧れている。



2012年3月13日







2012年3月8日

いい名前だね。




2012年3月6日

日記1(本)
保坂和志の本を久しぶりに読んでいる。「プレーンソング」、はじめのたった数行を読んで、この物語を読むことの歓びというか、いまこのタイミングで読み始めたことに歓びを感じた。



日記2(スーパー)
にんじんが見当たらなくて、結局買えなかった。




2012年3月5日









2012年3月4日

風邪はだいぶよくなってきた。気持ちがふさぎがちになりそうで、これはあまりよくないなと思い、車で蓮沼海岸に行ってきた。自分がいつもいくところは海岸沿いの展望台のある近くで、その横に大きな駐車場があるから、いつもそこに車を停めて海まで歩く。展望台の近くは、日曜日ということもあって家族連れがたくさん居た。初めて、この駐車場が満車に近い状態になっているのを見た。いつも平日に行っていたから気がつかなかったけれど、家族や恋人たち にとってここは結構な遊び場なんだろうな。これでは海も混んでいるかな、と思いながら歩いて行くと、全然人が居なくて驚いた。この日はあまり寒くなく、波はなかなか高いが風は強くなく、明るい曇り空で海も白く霞んで綺麗だった。いつもそうだけれど、しばらくボーっと海を眺めていた。何をするでもない。ただ歩いて、波の近くまで行ったり、またそこから離れて海を振り返ったりする。高校生の頃、自分は美術部で、毎日放課後の美術室にいた。高校2年の冬の日の部活中、休憩のときにストーブのそばに椅子を置いてそこに座り、ストーブの中で燃える火をずっと眺めていたら、「火って見てると落ち着くでしょ。」と先生が言って、そのときの記憶がなんだか強く残っている。自分にとっては海も同じで、いつまでも見ていられる。その理由が分かりそうで分からないのだけれど。今日はそろそろ帰ろうかな、と海に背を向けて歩き出したとき、この日はいつもより高かったからか、海からしばらく離れたところでも波の音が大きく聞こえて、いつもより耳の感覚、とうか耳の意味を強く感じた。


蓮沼はすきだ。
自分はいつも、ひとりぼっちであることを確認するために海へ行く。