ブランドンが死んで、20年が経った。
クリスマス・イブに乱暴されて、ニューイヤーズ・イブに殺されてしまった。
20年前の記憶はあるけれど、そのころまだ自分はブランドンのことを知らなかった。
知ったときにはもう居なくて、想いを馳せることしかできない。
あの人がどんな声でどんな風に笑ってどんな風に哀しかったのか。
いつも想っている。
2013年12月6日
夜歩いていて、今ふと立ち止まってしまったら右も左も分からなくなって、そのまま自分を無いものにしてしまいたい終わりにしてしまいと思ってしまうだろうということが分かり、このまま歩き続けなければいけない、そういう予感が消えるまで歩き続けなければならない、と、昨日はどこまでも歩いた。
なんとか治まって部屋に戻り、そのまま椅子の上で眠ってしまった。
たまにこういう風になる。
気持ちはどこまでも沈んでいき、世界を終わらせてしまいたいと思う。
こんなくだらない世界、もう未来なんてないような世界ではないか。
もう折り返し地点を過ぎて、成長する余白はない、あとは縮んで終わりを待っているような世界に居て、何をするというのか。
Hさんの「否、それでも世界は美しい。」という言葉を、ときどき見失いそうになる。
もうそれは遠く霞んで、本当にそう言ったのかさえ思い出せなくなる。
世界を一瞬で終わらせてしまう方法は、という質問の答えはひとつだった。
自分が消えれば全部消すことができる。
でも問題なのは、生きている人間は生きていかなくちゃいけない、ということだ。
これを破ってはいけないから、こんなにもしんどい。
なんとか治まって部屋に戻り、そのまま椅子の上で眠ってしまった。
たまにこういう風になる。
気持ちはどこまでも沈んでいき、世界を終わらせてしまいたいと思う。
こんなくだらない世界、もう未来なんてないような世界ではないか。
もう折り返し地点を過ぎて、成長する余白はない、あとは縮んで終わりを待っているような世界に居て、何をするというのか。
Hさんの「否、それでも世界は美しい。」という言葉を、ときどき見失いそうになる。
もうそれは遠く霞んで、本当にそう言ったのかさえ思い出せなくなる。
世界を一瞬で終わらせてしまう方法は、という質問の答えはひとつだった。
自分が消えれば全部消すことができる。
でも問題なのは、生きている人間は生きていかなくちゃいけない、ということだ。
これを破ってはいけないから、こんなにもしんどい。
2013年10月31日
しばらく日記を全く書いていなかった。
それでも毎日何かしら思うことはあって、日記に、これを書こう、あれを書こうと思いながらずるずるきてしまった。
言い訳としてひとつ挙げると、パソコンの調子が悪く、部屋でインターネットができなくなってしまったというのが大きい。ケータイで日記を書くのは画面が小さく非常に面倒なのでいつもパソコンで書いていたのだけれど、それができなくなって、まあそのうちと思っているうちに何ヶ月も過ぎた。
自分のパソコンは、もう化石と言われるくらいのものなので、修理を出すならいっそ新しいのを買おうと思うのだけれど、経済もあるし、なかなかどうしてすんなりいかない。
まあ、いいや。
もう憶えていないことは書けないから、憶えていることをまとめて書いてみる。
日記1)
豊田市美術館「フランシス・ベーコン展」。
ベーコンは 学生のころからすきだった。一連の歪んだ人物像なんかを初めて画集で見たときは、「この人は、本当にこういう風にものが見えているんじゃないかな。」と思っていた(今も思っている)。あとは色彩がめちゃくちゃ格好いいからすきだ。形にも色にも、不穏な空気と美しさが同時に存在していて、格好いいというのはこういうことだろう、と漠然と感じた。
東京国立近代美術館でのベーコン展とは違い、平日の日中だったからか(あと、美術館へ続くあの坂道を猛暑のなか上ろうという気になるひとはあまり居なかったのかも)、人がまばらで、会場にぽつ、ぽつとしか人が居なかったので、ゆっくり絵を見られた。
「人があまり居ない会場でベーコンの絵とゆっくりできたのはたいせつな思い出となりました。」
関係ないけれど、ベーコンが話している姿を収めたビデオが流れていて、自分は初めてベーコンの声を聞いた。それで思ったのだけれど、声も話し方もアンソニー・ホプキンスにそっくりで驚いた。いや、アンソニー・ホプキンスというか、彼が演じたハンニバル・レクターに似ていて驚いた。特に「very much」の発音。
もうポロックを演じてしまっているけれど、ベーコンを演じるとしたらアンソニー・ホプキンスが よかったと思います。
「フランシス・ベーコンもすきだし、ケビン・ベーコンもすきだよ。」
日記2)
名古屋に行っていたときにちょうど愛知ビエンナーレが始まった。
時間がなかったので色々とは回れなかったけれど、横山裕一さんのところはどうしても見たかった(見たいというより横山さんが会場に来ていたので会いたかった)。
横山さんに、その日持っていたバッグの空いているところに絵を描いてもらった。
原画も販売していたので一枚購入すると、おまけにスケッチ(横山さんはらく描きと呼んでいた)をいただいた。
大切にします。
日記3)
大学の先輩のライブに行った。
大学時代に話したことはなく、卒業後にライブに行くようになったり、その人のCDを買ったりした。
ギターを弾きながら歌っている姿を見て、楽器ができたらどんなに楽しいだろうなあ、などと考えていた。これは昔から考えているけれど、楽器を演奏できるというより、自分の感情や風景を音楽に変換できるって素晴らしいし格好いい。
日記4)
韓国は食べものが辛くて、最後の方、だんだん腹が立ってきた。
写真は一枚も撮らなかった。
日記5)
毎日、鉄砲水のように時間が流れていき、すこしつらい。
「身体が時間に追いつかない。」
たまに暴言を吐きたくなる。
日記)6
アトリエ日曜日の掃除をしないと、何も始まりません。
2013年9月30日
2013年7月17日
2013年5月8日
2013年5月2日
日記1)
ベン・ニコルソンの銅版画を見たとき、なんて美しいのだろうと思った。
心が落ち着くと同時に胸が弾むような感覚になった。
この感じ、いつかも体験したことがあるなと思ったら、ド・スタールの絵を見たときと似たような感動だったと気がついた。
日記2)
自分は夜に絵を描く。昼間に描くことはほとんどない。
もともと夜型の人間だけど、なんというか、人々が眠っている時間、一日で一番静かな時間がはかどるのだ。
とはいえ、絵を描いているだけでは生きていけないので、朝方まで描いてはいられない。
でもだいたい4時くらいまで描いている。
たまに孤独だと感じるけれど、自分にはこれしかない。と信じている。
あと思い出したけど、満腹の状態で制作できる人がうらやましい。
自分はできない。
部屋に帰ってきて、夜ご飯つくって食べてしまうと絵が描けない。
実に不健康だと思う。
でも、絵のことに関しては、健全だと言えるのだ。
あっちをとれば、こっちがとれず。
物事は往々にして正反対の要素を持っていると思っていて、自分の絵もそういうことを気にしているのだけど、ここでもそうなんだな。
いま、この日記は、絵を描いたあと、夜中の4時に描いている。
とても眠い。
眠すぎる。
でもお腹も空いた。
どうしよう。
眠い。
いま一番の問題は、こんなに眠いのに、筆を洗わなくちゃいけないということだ。
大問題だ。
こんなに眠いというのに。
ベン・ニコルソンの銅版画を見たとき、なんて美しいのだろうと思った。
心が落ち着くと同時に胸が弾むような感覚になった。
この感じ、いつかも体験したことがあるなと思ったら、ド・スタールの絵を見たときと似たような感動だったと気がついた。
日記2)
自分は夜に絵を描く。昼間に描くことはほとんどない。
もともと夜型の人間だけど、なんというか、人々が眠っている時間、一日で一番静かな時間がはかどるのだ。
とはいえ、絵を描いているだけでは生きていけないので、朝方まで描いてはいられない。
でもだいたい4時くらいまで描いている。
たまに孤独だと感じるけれど、自分にはこれしかない。と信じている。
あと思い出したけど、満腹の状態で制作できる人がうらやましい。
自分はできない。
部屋に帰ってきて、夜ご飯つくって食べてしまうと絵が描けない。
実に不健康だと思う。
でも、絵のことに関しては、健全だと言えるのだ。
あっちをとれば、こっちがとれず。
物事は往々にして正反対の要素を持っていると思っていて、自分の絵もそういうことを気にしているのだけど、ここでもそうなんだな。
いま、この日記は、絵を描いたあと、夜中の4時に描いている。
とても眠い。
眠すぎる。
でもお腹も空いた。
どうしよう。
眠い。
いま一番の問題は、こんなに眠いのに、筆を洗わなくちゃいけないということだ。
大問題だ。
こんなに眠いというのに。
2013年4月13日
おととしの年末に書いた日記。
自分は今まで何度かtwitterをやっては辞め、やっては辞め、をくり返していて、この日の日記はそれまで使っていたアカウントに投稿したものを最初から最後までまとめたもの。
今考えると、なんでこんなことしたのだろうな。
たぶん、メモみたいに使っていたものでもこの世から消えることが淋しかったからではないだろうか。
このあと、そのアカウントは削除した。
自分は今まで何度かtwitterをやっては辞め、やっては辞め、をくり返していて、この日の日記はそれまで使っていたアカウントに投稿したものを最初から最後までまとめたもの。
今考えると、なんでこんなことしたのだろうな。
たぶん、メモみたいに使っていたものでもこの世から消えることが淋しかったからではないだろうか。
このあと、そのアカウントは削除した。
2013年2月13日
日記1(漢方)
新しい病院に行くようになって、毎日処方された漢方を飲んでいる。
飲みはじめのころは、体のなかから何か出てきてしまうんじゃないかというくらい、お、お、お、お、お、という風になっていたのだけど、それもだいぶ慣れてきた。
日記2(すーちゃん)
今さら、という感じなのだろうけれど、益田ミリの『すーちゃん』シリーズがおもしろい。
来月には映画も公開するようだ。
本の面白さを知ったあとに映画を観るというのは、おすぎは薦めていなかったな。
それなら逆の方がいいわよ、と。
映画を観たあとに原作を読むほうがまだいいってことで、それはなんとなく分かる気がする。
日記3(映画)
この前の映画の日に「96時間 リベンジ」を観た。
いわずもがな、「96時間」の方が4倍くらいおもしろかったな。
あの映画は続編を意識して作っていたとは思えないし、展開に無理がありすぎた気がする(「96時間」もリュック・ベッソンではお馴染みの結構無理のある設定だけれど)。
でもスカッとする。
悪者をバタバタと薙ぎ倒していくさまに興奮するのは、自分のなかにもそういう願望があるからなのかも知れない。
新しい病院に行くようになって、毎日処方された漢方を飲んでいる。
飲みはじめのころは、体のなかから何か出てきてしまうんじゃないかというくらい、お、お、お、お、お、という風になっていたのだけど、それもだいぶ慣れてきた。
日記2(すーちゃん)
今さら、という感じなのだろうけれど、益田ミリの『すーちゃん』シリーズがおもしろい。
来月には映画も公開するようだ。
本の面白さを知ったあとに映画を観るというのは、おすぎは薦めていなかったな。
それなら逆の方がいいわよ、と。
映画を観たあとに原作を読むほうがまだいいってことで、それはなんとなく分かる気がする。
日記3(映画)
この前の映画の日に「96時間 リベンジ」を観た。
いわずもがな、「96時間」の方が4倍くらいおもしろかったな。
あの映画は続編を意識して作っていたとは思えないし、展開に無理がありすぎた気がする(「96時間」もリュック・ベッソンではお馴染みの結構無理のある設定だけれど)。
でもスカッとする。
悪者をバタバタと薙ぎ倒していくさまに興奮するのは、自分のなかにもそういう願望があるからなのかも知れない。