2015年1月27日

「花は咲くものです。
 枯れるものじゃない。
 わたしはそう思うようにしています。
 それは大切なことです。」



前に観たときにはあまり気にしていなかった言葉。
状況も変われば色々なことの受けとり方も変わる。
人間も同じなのだろうとふと思った。


人間は生きるもの。
死んでいくものじゃない。
そう思うことは大切なこと。


視点を変えて見る余裕があれば、いろいろ変えられるんだろう。
吹けば飛んでしまうような希望だって、守れるかもしれない。




2015年1月26日

「青い春」はカミソリのような映画だ。
身体の内側がひりひりしてくる。
今日、何年かぶりに観返した。
この物語には、閉塞感を抱いた青年たちが出てくる。
学校という限られた世界のなか、彼らの行き場なく彷徨う未来に苦しくなる。

この監督はスローモーションをよく使う。
特に「青い春」のオープニングと終盤のそれは見事だと思う。



2015年1月25日

今のところわりとまめに日記を更新している(なかなか暗いものが多いけれども)。
今日は、得意の何でもない話。

最近は渋谷まで歩いてそこからバスに乗って帰ることが多い。
渋谷までは30分くらい歩いて、バスに乗っているのは15分くらい。
すぐにバスに乗ることができれば電車で帰るのとさほど変わらないくらいの時間で部屋に帰られる。
それで、昨日もそうやって帰った。
途中、振り返るかたちで東京タワーが見える隙間があって「今日は何色に灯っているのか」必ず見るようにしている。

表参道の交差点近くを歩いているときふと空を見上げると月が出ていた。
上弦の月。
空気が澄んでいたからか、月の陰になっている部分もはっきりと見えた。
当たり前のことだけれど月は球体で、太陽の光が当たって輝いているのだな、というのが分かる。
渋谷の駅の近くまで来たころ、自分が向かう先、ビルとビルの間にその月が見えて、街の喧噪とは無関係に存在しているその月が、とても美しかった。

渋谷はトップ3に入るくらい苦手な街でそこにわざわざ行くことはまずない。
バスを利用するようになって街の端っこを通り抜ける頻度が増えたけれど、それ以上関わりたいとは思えない街だと思う。
ただそのバスは、なかなかどうして居心地がいい。




あと、写真のページ、もしかしたらうまくいくかも知れない。
今は昨年の分をひたすらアップロードしている。
ある程度まとまったら公開します。



2015年1月23日

日記1)
本当は兄だった人。
この日記を読んでくれているだろうか。
1月23日。
誕生日おめでとう。
人生で、一番悔やんでいるのはあなたのことです。
自分も年齢を重ねて、今ならどんな話ができたのだろうかと、いつも想っている。



日記2)
これで大丈夫と思っても、次の瞬間にはまた元に戻る。
我に返る。
「お前は幸せにはなれない。」って言った。
空はいくらでも描けるが、未来の描き方を知らない。

夜空をしばらく眺めていると目が慣れてきて、
はじめは気がつかなかったような小さな星の光も見えてくる。
じっとしていると見えてくるものもある。
もう長いこと、そうやっている。
たくさんの人が通り過ぎていくのを見てきた。
ただ、そうやっている間に心が固くなってしまうのではないかと、本当は怖いんだ。
昔から、手に入れたいものはたったひとつなのだが、なかなか手に入らない。



日記3)




2015年1月13日

2012年8月まで使っていた「はてな」から、日記をすべて移動しました。
なぜかインポートできなくて、ひとつずつコピーアンドペーストしました。
そうすると、否応なく過去の日記を読み返すことになり、今とは違う言い回しをしていたり、今と何も変わっていないところもあって、なんだか読んでいて面白かった。
それで、昔のことを読み返すと記憶も蘇ってきたりして、このころ自分がどういうものの考え方をしていたかとか、変化があるところもあれば今と同じところもある。

このまえ日記に書いた蓮沼の海のこと、しばらくして、人間が居なくなったあともこの風景は誰のためでもなくただ残るのだろうな、とふと思っていたら、3年前の日記にも同じようなことが書いてあってすこしおかしかった。
こういうことを考えるのは何も変わっていなくて、それはなんだか嬉しかった。

自分を見失わないまま多角的なものの見方をできるような人間になりたいと思うようになったのは、昔と変わったところだろうか。

日記の移動は終わったけれど、ホームページのサーバーを移動するのは全然終わっていません。
写真のページはすこし変えようと思っていて、ある程度量がたまったら公開します。




2015年1月10日

悪女の深情けは無用さ
女狐の涙に用はない





年末からこの歌が頭のなかで鳴り止まなくて、繰り返し聴いている。
今まで、男女のドライな関係を歌っているのかと思っていたけれど、男性同士の恋愛の話だと知った。
だからいつもボーカルの吉井とギターの菊池はあのように絡んでいたのか。
上に載せたライブではたぶんキスしているだけで終わっているけれど、自分が子供のころに見たライブ映像では、二人はもっと妖艶で粘着質な絡み方をしていて、そのとき初めて男の人にも色気があることを知ったような気がする。

ライブでこの曲を演奏するときはだいたいいつも長くなる。故にこの動画も長い。
最後の方、曲のラストへの入り方はさすがというか、ライブの醍醐味を感じられる。
音源はもっとコンパクトで疾走感がありそれぞれの楽器が鳴り響いていて、CDでも十分楽しめる。
中毒性のある歌。




夢の中の傷を開いて
急いで噛みついて
腐りかけの黒いスコーピオンネック
媚薬で直してよ
ジレンマの僕に手を添えて
今からめる溶けるような
その赤いキッスを垂れ流し凍える夜に
メカニズムが動き出せば踊ろう

壁に両手をついて MY PLAYBOY
純白の涙を
汚い君の目最高さ
銀色に見える BLUE EYE
レジェンドな君に手を添えて
今ときめく濡れるような
その赤いキッスを垂れ流し凍える夜に
メカニズムが動き出せば踊ろう

悪女の深情けは無用さ
女狐の涙に用はない
君の彼はゲイでおまけにデブ
幸せなんて言葉はない

長い髪を振り乱し暴れる夜に
エゴイストが鼻につけば終わる
目が覚めて鏡を見れば口紅で I LOVE YOU
メカニズムも止められて終わる SUCK OF LIFE





2015年1月6日

蓮沼海浜に行った。
海までは車で50分くらいかかる。
ステレオで音楽をかけながら運転するのはすきだ。

夕方から日が落ちるまで居た。
「思ったより寒くないな。」と、波打ち際を南に向かってしばらく歩いたのだけれど、ものの数分で骨の芯まで冷えきってしまった。
でも、冷たい空気が体の中に入ってくるのは心地よい。
感覚のなくなった手で、写真を撮りながら歩いた。

夕暮れ時は景色の色が刻一刻と変化していき、それを見逃したくなくてそこから動けなくなる。
自分のほかには誰も居なかった。
ときどき海面ぎりぎりをハクセキレイの群れがスピードを上げて飛んでいくだけで、それを見て、一瞬自分がそのなかの一羽になって飛んでいるような感覚になった。

波の音はいつまでも聞いていられる。
海を眺めていると、波の音を聞いていると、その間は何も考えなくてすむ。

年明けに、もうここには居たくないと思うことがあり、逃げるように海へ向かった。
いつもはしばらく海を眺めていると落ち着くのだけれど、この日は気持ちが落ち込んだまま帰った。
海岸から車へ戻るとき、海が見えなくなったあとも波の音だけは聞こえてくる。
それに後ろ髪引かれながら、聞こえなくなるまで耳を澄ましていた。
いつか、この場所で夜の海を見てみたいと思う。



























2015年1月1日

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

新年は見知らぬ街の見知らぬ部屋にて、NHKの2355で迎えました。
年末には鎌倉に行き、思いつきで大学時代のすきな先生を呼び出し一緒に飲みました。

見てくれている人が居るのか分かりませんが、今年も細々とこの日記は続けていこうと思います。
それで毎年のように言っていますが、今年はまめに日記を更新したいと思います。

なんとなく2014年を終わらせたくないというか、新年になるとともにリセットしたくなくてあがいています。
ただ、それでも時間は流れていくもので、距離が離れればその間にどのくらいの時間が流れたのかという感覚も麻痺していってしまうそうです。
そしてその先に忘却がある。自分はそれを恐れているのだと思います。