2016年2月28日



外山光男 / 星会

星を見たりとか、そういうことが、
ものすごく大事なことのように思える時があるのです。




2016年2月26日





2016年2月25日

「1年 365日あれば、そんな日もあるよ。」

映画「青い春」、授業をさぼって学校の屋上で青木の髪の毛を切っているときに九條が言う。
まだ二人が穏やかなころ。
そのときの青空が印象的なんだよな。
ちょっと馬鹿な青木と、朴訥な九條。










不良青年たち。
彼らには帰る家があるし、昼に弁当を食べている姿を見ると、その弁当を毎朝作っている親の存在も想像できる。
でも、この映画は学校のなかだけを切り取っている。
それが、10代のとき感じた世界の狭さ、行き場のなさ、やり場の無い憤りを際立たせている。
何かに怒っていて、絶望している。
でも朝がくればまた学校に行かざるをえない。
その狭い世界がすべてで、他に選択肢があることも知らない。
自分のその頃を思い出す。








九條と青木がすれ違って、あのラストシーンに繋がる。
原因とすら言えないような、小さな小さな亀裂。
未熟な時代の人間関係って、本当にもろいものだ。

この映画の最後の8分間は、もっともすきなラストシーンのひとつだ。
ミッシェルの「ドロップ」がまたいいんだ。
チバのひりひりした声が、九條たちにリンクする。

むかし住んでいた町から近くて、この映画の舞台になった学校を見に行ったことがある。
ここが最後に九條が駆けていったグラウンドかあ、としばらく眺めていた。












2016年2月19日

夢か!
まことか!


目を疑う、朝。




2016年2月12日

この日をよい思い出にできたことは、ただ自分にとって意味のあることだった。
もうしばらく、負けないようにやっていけそうな気がした。




2016年2月10日

「心と身体は繋がっているから。」

大学を卒業して間もないころ、パチンコ屋でバイトしながら絵を描く生活を送っていて、たまにふと、自分はどこに居るのか、どこに向かって歩いているのか分からなくなることがあった(それは今も変わらない)。
そのころはまだ大学の近くに住んでいて、たまに先生に会いに行ったりしていた。
ある日、またどうしていいのか分からなくなり、H先生に連絡をしたら、「飯でも食おう。」と言ってくれて、駅前に向かった。
出掛ける寸前に、嘘だろというくらいの土砂降りになり、駅に着くころには靴もズボンもずぶ濡れになってしまった。
先生も濡れていた。

何を食べたのか、何を飲んだのか、全く憶えていない。
ただ、話をするなかでHさんが言った、 「心と身体は繋がっているから。」という言葉だけよく憶えている。

心が健全でないと、身体が駄目になっていく。

自分はついそれを忘れて、許容範囲を超えたことをやってしまう。
波風が立たないならば、自分が我慢すればいいと思ってしまう。
でもそれは、悪くはないけれどもあまり良くもない。
欠点でもあり、損することも多い。

今できていることだけ繰り返しやっていても、自分の力は大きくならないし、強くなれない。
ただ、できることのすこし外に一歩踏み出す感じでやらないと身体が保たない。
現に自分はそうして壊していった。

人生は相対である。
最近耳にして至極納得したことだった。
楽な方ばかり選んでいると、人生のレベルが下がっていく、という意味になる。
(例えば、重い荷物を持って駅のホームやバス停で立っているとき、その荷物を床に置くことは簡単だけれど、それを繰り返していると、次また重い荷物を持ったとき、そしてそれが前回床に置いてしまった荷物より軽かったとしても持ち続けることが苦痛になる、というようなこと。)
この話は、物理的なことにも精神的なことにも当てはまる話だと思う。

そしてそれは、絵を描いているときも同じ。


なんでこんな話をしているのだろうか。


精神がよくないとき、猟奇的な映画を観る癖がある。
映画「誘拐の掟」は面白かった。
内容は、「羊たちの沈黙」「セブン」「ドラゴンタトゥーの女」を交ぜたようなもので、オープニングの映像なんかは素晴らしい。
無菌室を連想させるような白いバックが、狂気を際立たせている。
犯人たちは、物語が後半に進むにつれて綻びが目立っていく。
あのような犯行をするシリアルキラーが、金銭に執着するのがすこし分からない。
冒頭の、車のトランクの中からキャリーの身体が見つかるシーンでは、あれだけパンパンに袋に詰めてテープでぐるぐる巻きにしているのに、袋が全く汚れていないのもよく分からない。

この映画のもっとも面白いところは、スカダーが電話で犯人のレイを追い詰めるところだった。
心理戦というのかな。
人質を誘拐している犯人に向かって、人質に何をされるか分からない状況で、電話越しの見えない相手を追い詰めていく。
理由もなく殺人を犯す人間に、人質を生かしておく理由を与える。

主演がリーアム・ニーソンだから観た。
「96時間」や「ラン・オールナイト」など最近続いていたニーソンのアクション映画と似た感じかと思っていたら、全然違った。
オープニングで引き込まれるし、上で書いた電話でのシーンでは自然と身体に力が入るくらいはらはらする。
映画は最初から最後まで、曇りか雨か暗闇、という感じでジメジメした印象を受ける。
それがまたいい。













なんでこんな話になったのだろう。
今日は、おしまい。




2016年2月3日

sleepy.abの「traveling fair」。
「自由の果て」という歌が、言葉にならないくらい素晴らしい。
素晴らしい、っていう言葉じゃ足りなさすぎる。

最後のメロディに入る前、寒い夜空を上昇していくような。
そんな清々しさがある。
ギターの音色と歌声だけで、閉じこもっているようなのに、どこまでも広がっていくような。


「相反するものは同じところに存在する。」
やっぱりそうなんだと思える。