2016年2月25日

「1年 365日あれば、そんな日もあるよ。」

映画「青い春」、授業をさぼって学校の屋上で青木の髪の毛を切っているときに九條が言う。
まだ二人が穏やかなころ。
そのときの青空が印象的なんだよな。
ちょっと馬鹿な青木と、朴訥な九條。










不良青年たち。
彼らには帰る家があるし、昼に弁当を食べている姿を見ると、その弁当を毎朝作っている親の存在も想像できる。
でも、この映画は学校のなかだけを切り取っている。
それが、10代のとき感じた世界の狭さ、行き場のなさ、やり場の無い憤りを際立たせている。
何かに怒っていて、絶望している。
でも朝がくればまた学校に行かざるをえない。
その狭い世界がすべてで、他に選択肢があることも知らない。
自分のその頃を思い出す。








九條と青木がすれ違って、あのラストシーンに繋がる。
原因とすら言えないような、小さな小さな亀裂。
未熟な時代の人間関係って、本当にもろいものだ。

この映画の最後の8分間は、もっともすきなラストシーンのひとつだ。
ミッシェルの「ドロップ」がまたいいんだ。
チバのひりひりした声が、九條たちにリンクする。

むかし住んでいた町から近くて、この映画の舞台になった学校を見に行ったことがある。
ここが最後に九條が駆けていったグラウンドかあ、としばらく眺めていた。