2016年3月3日

ちょっとめまいがします。
ふかふかの上を歩いているような、へんな感じです。

今日はホットケーキを食べました。
人と会話をしない日が続いています。




ひとりの時間が長いと、色んなことを思い出してしまいます。
以前、「絵っていうのは、気分が上がっているときじゃないと、描けないものでしょう?」と言われたことを思い出しました。
そのとき自分は、「うん。そうだね。でも、自分にとって絵は苦しいことの方が多いのだけど、続けているのは、これくらいしかないから。」と、同調しているんだか反論しているんだかよく分からないような答えを返しました。

自分にとって絵は、苦しいことの方が多い。
楽しいのは、ほんの一瞬です。
ごくたまに、「これはとんでもない絵を描いてしまった。」と思えるときがあって、その一瞬があるから、続けているんだと思っていました。
でもこの前、絵の描き始め、真っ白なキャンバスに絵の具をのせた瞬間、うまく言えないけれど、「そう、この感じだ。」と思いました。
思ったというか、その感覚が駆け抜けた。
生きてきて続けているのは絵を描くことくらいなのは、「そう、この感じ」があるからなのかな、と思いました。
うまく伝えられない。

絵を描いていなければ、時間も経済も自由に使える。
絵を描いていなければ、もっと狭くて安い部屋で済む。
絵を描いていなければ、もっと健康的になれる。

「絵を辞める理由はいくらでもあるけれど、絵を続ける理由はほんのすこししかないんだよ。」
高校の美術の先生が言っていました。
自分はこの言葉が忘れられないし、その意味がよく分かります。
ずっとそれを感じている。
でも、続ける理由がほんのすこしある。
その理由が、力になっています。
絵のいいところは、自分が問題であると同時に、答えでもいられるところです。
誰が何と言おうとも、描き上げた絵が正解なんです。
ただ、ともすると独りよがりになってしまうので、自分の絵に厳しくなくてはならないです。
これはいい絵だと思っても、次の日の朝それを見て違和感があったなら、その絵は終わっていないんです。
この感覚は大事にしている。
「やり直しだ。」と、その夜また手を加えるのはとてもしんどいし、エネルギーを使います。
できれば見過ごしてこのまま完成ということにしてしまいたい、と思うこともあります。
でも、立ち向かわなくちゃならない。
それを見過ごすと、観た人にもすぐ分かってしまいます。
正解を導くのは、とてつもないエネルギーがいる。

あと、自分は恵まれています。
発表する機会を与えてもらっている。
これは、ひとりの力ではどうしようもできないところがある。
自分の絵を気に入ってくれる人と出会えたのは、そこで発表することを許されたからだと思っています。


なんでこんな話になったのだろう。
最近は、日記をよく更新しています。
ひとりの時間が長いから、頭のなかでいろいろ考えてしまうのかもしれません。