2017年8月14日



生まれ育った町の近くに大きな空港がありました。
今でもある。
空港は夜でも煌々と明かりが灯っているから、その方角の空はオレンジのような、赤紫のような色をして、明るくなっています。
子供の頃、静かな夜、窓からそちらの方を眺めるのが好きでした。
離れているから、もちろん空港そのものは見えないのだけれど、鈍く赤く染まる空の明かりを見て、「ああ、向こうに人がいるんだな。」と思っていた。
ただそう思うだけ。
だから何がどうするというわけではなく、ただ、向こうに人が居る。という気配を感じるのが、好きでした。
それは自分だけが知っているような感覚な気がしていた。
子供の頃のいろんな記憶のなかで、それが強く残っていると、大人になってから気がつきました。

夢と現実の狭間にいるようなあの感覚は、今でも感じることがある。
それはすこし淋しく、どこか懐かしい。



秋葉シスイ sisui AKIBA
"次の嵐を用意している preparing for the next storm"
oil on canvas
97.0x145.5cm
2016


5月の芝生さんでのグループ展をきっかけに(?)、自分の絵について話す機会がそれまでより出てきました。

最初に言ってしまうと、おしゃべりは好きだけど、自分の絵について語るのは得意ではありません。
それでいいのか、という気もしますが、これはもう、ずっとそうです。

「言葉にできないから絵を描いているのに、絵を描いていると言葉を求められる。」

これは大学の先輩が言っていたことば。
ときどきそれを思い出します。

絵に限らず、なんでもそうなのかも知れない。
人間は、言葉を求める。


それで、自分の絵について相手に話しているうちに、
色々思い出したことがありました。
忘れちゃいけないことでも、時間がたつと記憶の奥の方に行ってしまっていることがある。


自分の絵は、人が居たり居なかったり、向こうの方に光があったり無かったり、はたまたそれすら何もない風景画です。
Hさん曰く、「およそ退屈な景色。」
なんでそういう風景を描こうと思ったのか。

根底にあるのは、人に興味があった。
にも拘わらず、いわゆる人物画を描くのが嫌だった。
人が中心に大きく描かれた、周りはその他背景。というような、昔でいう肖像画?

子供の頃からずっと、自分の存在も、人との人間関係も、どこか頼りないものに感じていました。
いつかは壊れて消えてしまう。
周りの人たちも自分も、絶対的な人間関係を築くことができなかった。
いくつも壊れていくのを見ていたし、そこに希望を見出せないでいた。

ただ人がいる景色とした風景を描きたかった。
「この世界のなかで、人間の存在は頼りない。それでも生きているものは生きていくしかない。」
考えるでもなく、そう感じていたんだと思います。

表情や性別が判然としないほどぼんやりと小さく描いた人は、ぽつんと佇んでいて、その景色からは、「寂しそう。」とか、「孤独」という印象をもたれやすいです。
それは分かっている。

でも、それが全て悪いことではないとも思っていて、
絶望のようには描きたくない、あまり深刻にならないように描いています。
淋しさや一人でいることも肯定するような。